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2005年夏、ロシア、欧米、アジアの自動車関連企業が一同に会するだろうモスクワ・モーターショーを2日間、見に行きました。
仕事のほうは順調に進んで、成果を収めたので問題ない。
ロシア自動車メーカーはじめ、全世界のメーカーがここに集まった。
のだが、日本の自動車メーカーはスズキのみ。
あのトヨタ、ホンダ、ニッサン、マツダetc.は出品していないのだった。
ロシアは2005年当時で、すでに約3千万台の自動車保有台数を誇る、レッキとしたモータリゼーション大国なのだ。
その殆んどが余り質の良いとは言えない、ロシア車ではあるが。
1990年代後半あたりから石油+天然ガス資源をバックにした豊富な資金で、ロシア経済は高成長時代に入っていて、日本の中古車輸入はうなぎ上りで、2005年時点で、今や日本からの中古車輸出先のトップとなっている。
日本車の占有率は、極東地域では90%以上、中央シベリア地域で約50%、全保有台数の7割が走っているヨーロッパロシア地域でさえ25%近くを占めている2005年だった。
(欧州車はドイツ車中心に30%)
対ロシア貿易相手国は、ドイツ、中国、イタリア、オランダ、アメリカであり、日本は非常に出遅れていた。
その出遅れが、今回のモスクワ・モーターショーに如実に表れていたのだろう。
でも、トヨタは2007年末から、サンクト・ペテルブルグで現地生産工場開始を計画していたので、さすがトヨタは先見の明があるものだ、と思っていた。
当旅行記はそんな経済のお話しではなく、2005年当時のモスクワ・モーターショー会場内で起こっていた、真実をお伝えするものです。
これを目にして、明るい、アッケラカンとしたロシア人の一面を認識したのでございます。
ロシア人は決して、冷たくはありません。
熱いのです。
2010/09/02 09:09:43
前回の旅行記で東京から車でソウルに行き、梨泰院のボストニアンという靴店でブーツを注文したと書いたのですが先日,日本の自宅に品物が届いて箱を開けてみたら最高の仕上がりでした。
お店まで作って欲しいブーツ(左)を実際に持って行き、色違いをオーダーしました。以前から、茶色は持っていたのでフォーマル用にと黒が欲しかったのですが、値段がどれも8~10万円もしてしまいます。ブーツにその値段は正直,つらいです...........
なので今,空前のウォン安なのもあり、旅行がてらオーダーしてみようかと思っていました。
値段を聞いて腰が抜けそうになる位に,安かったです。しかし、仕上がりは見てみないと分からないので少々,心配。しかし、実際にブーツが届いてから見て、履いてみたところ全く問題が無く本当に12,000円でいいの?と思ってしまいました。
今回のは本来、ショッピング情報のジャンルに入ると思いますが、旅行記の続きという事でお願いします。
お店の内容等は前回の旅行記とダブルので省略させて頂きました。
2010/09/02 12:09:01
全国の歴史的建造物を見て回ると、国宝建造物や重要文化財建造物には茶色い看板が建っているのに出会う。この重要文化財(建造物)脇に建てられている「記号」「文化財愛護」「重要文化財」(「国宝」)「名称」「火気厳禁」「HITACHI」と記されている看板は、日立が設置したもので、社内では「火気厳禁ボード」と呼んでいるそうだ。
鎌倉鶴岡八幡宮の境内は鎌倉時代を代表する史跡であり、その飛び地境内として新宮(今宮)と由比若宮(元八幡宮)がある。しかし、ここに建つ看板は少しおかしい。新宮(今宮)と由比若宮(元八幡宮)には重要文化財がないのにこの看板が建っている。鎌倉にはたった20件の国宝重要文化財(建造物)しかないのに2件のこうした看板も建っている。良く見ると、鎌倉鶴岡八幡宮の境内入り口に建っている看板には上宮、摂社若宮、大鳥居(一の鳥居)、末社丸山稲荷社本殿などの建造物名が記載されていない。
年間1,800万人が訪れるという鎌倉で鶴岡八幡宮を参拝しない人は少ないだろう。また、御神木の大銀杏の木が倒木して、その再生を願う人の多さに八幡宮側も驚いたであろう。そうした参拝者に対して分かり易い看板の設置は必須であろう。
こうした境内では火気厳禁であることは論を待たない。県内では重要文化財建築物を含めた歴史的建造物の焼失が相次いだ。火気厳禁看板の類は都内で見た、赤い「禁煙 NO SMOKING 火気厳禁 NO OPEN FLAME 危険物品持込み厳禁 NO DANGEROUS GOODS」の看板もある。必要なら鎌倉にもこうした看板の設置も必要なもかも知れない。関係部門で協議検討されてはいいかがでしょうか?
(表紙写真は鶴岡八幡宮正面の重要文化財看板)
2010/08/30 09:08:14
<2006年2月16日(金)>
<朝の散歩>
昨日、ツアーのコースで連れていって貰ったフィッツロイ公園は、ホテルから歩いても近い距離にあります。その公園と、手前のトレジャリー公園を食事の前に散歩することにしました。
フィッツロイ公園には、キャップテンクックの家があることを知りましたし、大木が生い茂る庭園内には、多くの鳥たちが集まってくることも昨日体験しました。公園の大木は、まさしくその公園の風格を現しています。
手前のトレジャリー公園は、旧大蔵省に隣接しており、その建物に沿いながら、朝の散歩から戻ってきました。気分爽快でした。
<バイキング>
朝食だけは唯一オプショナルに加えて貰っていました。それで泊まったホテルの1階で済ませました。椅子に黙って腰掛けましたら、すぐに男性のウェイターさんがやって来て、
「バイキング」
と、教えてくれました。一瞬「バイキング」の意味が分かりませんでしたが、指さしてくれた先に、それらしきセットがありました。それで、すぐに理解でき、お礼を言って、席を立ちました。早速、好きなだけ皿に盛りつけて席に戻りました。
コーヒーだけは先ほどのウェイターさんが運んでくれました。アメリカン風だったので、お替わりも頼みました。帰りには、テーブルにチップを少々置いておきました。ラテン系の実直そうな小柄な人でした。
食事の質と量とも十分で、デザートの果物の種類も豊富でした。普段はあまり果物を口にしませんが、このときばかりは、幾種類もの色とりどりの果物に手が伸びてしまいました。
<メルボルン散策>
今日は早めに出かけることに決めました。行き先は国立博物館、美術館などです。小銭も必要だと思い、ホテルのフロントで、
「エクスチェンジ プリーズ」とあわせ、
「スモール プリーズ」
と頼んで、小銭も手に入れました。同じホテルに2泊しますので、荷物を部屋においておくことができ、便利でした。連泊のいいところです。小さな手荷物だけの支ましメルボルン市内散策に出かけました。出かける前に、ベッドメイクのお礼の小銭も忘れずに置いておきました。
<国立博物館>
国立博物館はホテルからは西北側にあり、歩いて行けない距離ではありません。しかし、トラムが丁度便利良くできているので、これに乗って出かけることにしました。目指すトリムは茶色です。
博物館の造りは荘重で、石段を何段も登ったところに入り口がありました。壁には「チャインジング マン チャインジング トモローとか何とか(正確には忘れてしまいました)」の大きな幕が吊り下げられていました。イベント中のようでした。この時もチェンジの発音ではなく、チャインジでした。
この大陸で発見された化石類と、アボリジニの芸術遺産が素晴らしく、見応えがありました。
<国立美術館、州立美術館>
この二つの美術館は隣接していて、ヤラ川を南に渡った西側に位置しています。さすがに国立の方は規模も大きく、近代的な建物です。入り口付近には噴水が設えてあり、憩いの場としての機能も整備されているようです。
今回の旅行を通じて、博物館には惹かれる事が多かったのですが、美術館はさほどでもありませんでした。美術館では、荘重なバロック風の作品、殊に着飾った肖像画を多く目にすることができましたが、感激するほどではありませんでした。
歴史が古くない国の宿命でしょうが、イギリスの影響を残している謹厳な作品が多かったようです。むしろ、アボリジニの素朴な芸術の方に心が動きました。
<トラム>
最初の日にトラムの乗り方を聞いていましたので、戸惑うことはありませんでした。もし、知らずに初めてだと、結構びっくりするに違いありません。なにしろ、同じ線路を有料と、無料のトラムが走っているのですから不思議です。茶色のトラムだけが無料とは、いくら考えてみても、自分では思いつきません。聞いてみなければ分からないことです。
この無料のトラムには、市内案内の車掌さんまでいるのですから、そのサービスの良さに恐れ入りました。線路添いの名所旧跡を、懇切丁寧にガイドしてくれました。男性だけでなく女性のガイドさんもいました。
<民族資料館>
残念ながら、正式な名前は忘れました。手元の2冊のガイドブックにも、現地で貰ったパンフレットにも記載されていません。場所だけは良く覚えています。フラッグスタッフ公園の東側です。無料のトラムが回っている線路に面した北側です。
何気なく、覗いてみたら、大変に興味を惹かれました。また、ここでお会いした、日本人の年輩の管理人さんの話しが有意義でした。お名前を書き留めなかったのが残念でした。旧称を橋本さんと言われたような気がしますが、なにしろ3年前の事なので、正確には覚えていません。
「久しぶりに、たくさん日本語を話すことができました。日本を離れて30年近く(27年?)になります」
と、喜んで頂けました。実は、資料館の入口の近くで、この方と視線が合った時、
「あなたは日本人ですか?」
と、日本語で話しかけられたのが、きっかけでした。
「そうですよ」
と、日本語で応えましたら、
「日本人向けの案内には出ていないのに、よくここまでおいで下さいました」
と、最大級に喜んでもらえました。この資料館の由来を、
「掘削している途中で、敷地内でオーストラリア建国時の色んな遺物が出てきたましので、この倉庫のような建物は、取り壊しが中止になり、急遽、民俗資料館として保存されることになりました」
と解説してくれたり、
「塀が高かったのは、イギリスから連れてきた囚人を収容するためだったのでしょう。二階にハンモックの部屋というのがありますが、これは是非ご覧下さい」
とも教えていただきました。このハンモックの部屋というのは、実際にハンモックを吊して再現してありましたが、凄まじい詰め込み方であり、唖然としました。
1階の政治風刺の部屋は、時間の許す範囲で、案内をしていただきました。人形や漫画で強烈に政治風刺を表現したものありました。自国だけでなく、欧米も風刺の対象にされていました。
「今オーストラリアでは総選挙が近づいていますので、ここへの見学者が増えています」
と、喜ばれていました。一般的なオーストラリア人の日本の首相に対する評価は、
「日本の首相はあまりにも早く替わりすぎるので、今誰がなっているのか、ほとんど知っている人は居ません。こちらでは日本の首相選びを、子供の遊びに例えて揶揄しています」
「それは椅子取り合戦です。ストップの合図があるまで椅子の周りを回り、ストップがかかると、最寄りの椅子を奪い合う遊びです。誰かがはじき出されていきます」
と言う話しでした。身の上話も、
「私の亭主はオーストラリア人で、孫もできました。時間の余裕ができましたので、公務員の資格でここに勤めています」
等と語ってくれました。一通り見学した後で、事務所を尋ねてお礼を述べましたが、
「機会があったら、また是非立ち寄って下さい。メルボルンは静かで、いい町ですから。この資料館の事も、皆さんに伝えて下されば嬉しいのですが、、。」
と、別れを惜しんで資料館を後にしました。
<ファーストフード>
昼食はフリンダース・ストリート駅の構内で簡単に済ませました。この構内で、ファストフーズの店を見つけましたので、
「ディスワン アンド コーラ プリーズ」
と、ハンバーガーを頼みましたら、
「ウィッチ サイズ?」
と聞かれました。それで、
「レギュラーサイズ プリーズ」
と言って、普通のサイズのハンバーガーとコーラを買いました。残念ながらビールは置いてありませんでした。そういえば、日本でもマクドナルドやロッテリアには、この種の飲み物は置いてないので仕方がありません。
店の中には椅子席も設えてあり、そこで食事をしている人も何人かいました。空いている席を探して、食事を済ませました。さすがにハンバーガーの味は、日本とさほど替わらず、コーラも一緒でした。世界標準と言ったところでしょうか?
<メルボルンのチャイナタウン>
チャイナタウンはホテルのすぐ西にありました。一通り歩いてみましたが、さほど大きな規模ではありませんでした。ジェットツアーの事務所もこの一角の南側にありました。
本通りから西に入った南側の店に席を取りました。メニューは結構ややこしいものでした。暫く眺めて、エビチリやシーフードを中心に幾品か頼みました。ビールの他にワインも頼みましたので、まずまずの値段を取られました。付近一帯も伝統を感じさせる煉瓦造りの家が多く、店の中も大衆店と言うより、やや専門店と言った感じでした。相場といったところで、納得いきました。
<セント・ポール寺院>
その寺院は、フリンダース・ストリート駅の北に位置していました。中には入らず、外から眺めただけです。尖塔が素晴らしい、ゴチック風の建物でした。
訪れたのは夕刻で、もう薄暗くなっていました。寺院の周りには、制服を着た子供を連れた家族が、続々と集まってきていました。どうやらミサでも始まるようです。家族を含めて、宗教が日常の中に組み込まれている国は羨ましい限りです。
子供の躾の点から見ますと、日本は相当に危険な状態になってしまっているのではないかと、常々心配しています。躾をされる子供ではなく、その親の躾が問題だという指摘が実感される場面に、たびたび遭遇するようになりました。
2010/08/29 03:08:30
<1996年4月30日>
4月も今日が終りの30日になりました。泊まった儒城温泉から更に南に下って、最初は、奇岩で有名な馬耳山(マイサン)を訪ねました。
タクシー代をTnさんが全部払うからと申し出られ、恐縮しながら、好意に甘えさせて戴きました。ソウルに立ち寄った時の昼食で食べたくなるのが、中心街の明洞(ミョンドン)にある全州屋のビビンバです。全州(チョンジュウ)はその本家であり、今回その本場の味を楽しむことが出来ました。
また、南原(ナモン)では、昼食時にトンドンチュと呼ばれている濁酒を飲むことが出来ました。白い濁酒がマッコルリ(マッカリ)であり、このトンドンチュは茶色っぽい色をしていました。お椀に柄杓で掬って昼餉と一緒に楽しみました。
<馬耳山(マイサン)>
馬耳山は、その名の通り、標高667mの雄馬耳山と、673mの雌馬耳山の形が馬の耳に似ていることから名付けられています。奇岩の景観は元より、落石を積み重ねて作ったパゴダも見ものでした。大小さまざまな石塔が、所狭しと積み重ねられていました。
パゴダは500年ほど前に地元の人が積み重ね始めたとされます。塔寺(タプサ)のシンボルとなっています。狭い崖道を登ったところに寺院もありました。
パゴダはこの寺院を凌ぐ高さの物までありました。馬耳山一帯は、中国の山水画を思わせるような景観であり、隆起した石灰岩が侵食された結果、出来上がった風景かも知れません。しかし、観光ガイドでは、そこまでの記述はされていませんでした。
<花回廊>
馬耳山の麓の塔寺(タプサ)まではタクシーは入ることが出来ません。途中は池のほとりを通って山道を歩きました。その池の周りで満開のソメイヨシノに出会いました。
この時期は牡丹桜に交代していて、まさかソメイヨシノが満開とは想像できませんでした。後で買い求めた絵葉書にも、ちょうど桜が満開の池と馬耳山が写されていて、まさに4月の終りの日に、この風景に出会いました。この絵葉書も写真を収録しておきました。つい、拙い俳句をいくつか書き留めました。
<広寒楼(クヮンハルルウ)>
馬耳山の帰りは、悲話『春香伝』(チュンヒャンジョン)で名高い広寒楼(クヮンハルルウ)がある、南原(ナモン)に立ち寄りました。その『春香伝』のあらすじを、観光ガイドブックから紹介しておきます。
『南原で恋仲になった官吏の子息、李夢竜と身分の低い妓生の娘、春香が主人公の物語である。父の転勤で、一旦は結ばれた二人の仲は引き裂かれることになった。春香は後任の悪代官に狙われ、貞操を守ったがために絶体絶命のピンチに陥った。その時、都で科挙の試験に合格し、「暗行御使」と言う密偵になった夢竜が現れ、その印である「馬牌(マペ)」を掲げて、悪代官を平伏させた。悪代官は逮捕されて、二人は目出度く結ばれました』
と言うのが粗筋です。『馬牌』が、水戸黄門の『三つ葉葵の印籠』の役割と同じです。それにラブロマンスが加わったような話です。
王朝時代からパリソンという唄劇で親しまれ、現代では何度も映画化されているようです。韓国の定番ストリーです。春香伝の舞台となった広寒楼(クヮンハルルウ)は、1638年に再建されたものです。庭園全体が天界を表現し、広寒楼は月世界を現したものだとされます。
馬耳山にて
花回廊奇岩に続く坂の道
馬耳山の奇岩に苔生す春木立
花の下蛙の波紋立し今
幹濡て白さ際立つ桜花
花回廊戻りつ馬耳山見返りぬ
広寒楼を訪ねて
濁酒花を浮べて昼の宴
美妓楚々と広寒楼の花の刻
2010/08/29 03:08:18